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良い子を演じる必要はない
今も昔も気付けば没頭し、かれこれ30年近く体操に惹かれこの歳を迎えました。伊地知です。
最近は体操の魅力をファンの方々や、引退された体操関係者が「体操の魅力」を高める為に色々な意見や行動をしてくれています。
私自身そこの部分には、まだお力添え出来る状況にはなく目の前の子供達、社会人競技部の1日に奮闘しているに過ぎません。将来、日本の体操界隈が素晴らしいものになっている事を今は祈る事しか出来ないもどかしさがありますがそれでも日々を大切に取り組む事しか出来ないので出来る事を出来るだけやっていきたいと思います。
あなた自身の原動力は?
1つの事に没頭するような原動力溢れるものにあなたは出会えていますか?
私は正直なところ。
体操は本当にかけがえのないものとなりました。
ただ体操に限らず、目の前の新しい事があればそれが原動力になるタイプです。
体操だけに生きている体操人になりきれない自分に嫌になった時もありますが、それでも夢中になって取り組む事が出来た体操に感謝しています。
もしそのような「夢中になって没頭できるものに出会えていないという人」と「出会えて我も忘れて進んでいる人」がいたとして、
ここを分ける大きな違いは何だと思いますか?
その違い、私はこう思います。
夢中で没頭する人間になるには?
夢中で没頭出来る人。
それは「負けず嫌い」であり「諦めの悪さ」であり人に何と思われようと我が道を進む「わがままさ」であると思います。
良い子症候群になっていませんか?
世間一般で良い子というと真面目で親の期待に応える良い子なのですが、それは本当に良い子なのか。
ただ人に言われるがままの人となりになっている良い子症候群と呼ばれる状態なのかもしれません。
確かにこちら側の都合で見れば、思う通りに動いてくれるのは良い子で楽な子であるのは間違いないですが、
逆に言う事を聞かない子に関して悪い子というのもこちら側の都合での判断でしかないと思います。
そうなれば私は本当に悪い子だったなぁと振り返ります。
それでも相手になってくれて支えてくれる人は最高のパートナー
色んな人に迷惑をかけて色んな人に反発し色んな人にお世話になった一人。
そんな日々を過ごしながらも確実に誠実に向き合い、良い関係を持てた人達がいた事も事実です。
そうやって前に進んできたからこそ、自分にとって生きやすい人間関係が出来上がったように思います。
一度良い子をやめてみてはいかがでしょうか?
それで離れる関係性であれば、良い子のあなたが好きだっただけで本来のあなたという全てを受け入れてくれていた訳ではなかったという事が分かります。
「自分はこんな人間です」
というのがはっきり分かる人の方が関わりやすいと思いますね。
良い人になりたくてもなれない良い歳の大人ですが、今日もこれからもよろしくお願いします。
自分の前には未来のあなたがいる。
あなたの後ろには過去のあなたがいる。
どちらも真ん中のあなたにとって輝いて
見えればあなたも輝いている。
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