引退という言葉を変えませんか?



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ご無沙汰しております

ありがたい事に地元北九州での世界選手権を控えている伊地知です。

もちろん選手ではなく、審判でもなく安里選手、そして日本代表選手のコーチとしてです、応援よろしくお願いします。

シニア大会 種目別跳馬優勝の安里選手

2021年のシニア大会は男女監督としての参加でした。

三重とこわか国体まで成年女子の監督として進んできた事もあり所属の水戸なつみ選手を指導してきたので1班に関しては女子の付コーチとして帯同させて頂きました。

試合後の水戸選手とのオフショット

山形県酒田市で開催されたシニア大会を改めて振り返って感じた事がありました。

タイトルにある「引退という言葉を変えませんか?」という事なのですが、その理由を以下に書かせてもらいましたので良かったら見て下さい。

全日本シニア大会を終えて

先日全日本シニア大会が終わりました。

私も会場で直に選手をサポートさせていただきましたが、シニア選手にとっては数少ない来年度に繋がる重要な試合とあって熱気あふれる熱い試合となりました。

それと同時に最後を迎える事になった選手、いわゆる引退試合となった選手が多いのも事実です。

また、引退せずとも多くの選手が引退を考える試合、また自分にとっての現役での体操を考える機会となります。


中谷選手のように第一線、日本代表ナショナル選手での活躍を目指して進んでいる選手にとってはこの第一次予選を突破(来年度の全日本個人総合選手権枠獲得)出来なかった場合は引退を余儀なくされる場合もあったりします。

もちろんこれは人によっての環境の違いで自分で決める事もあれば決められる事もあるのが事実です。

ただ私自身もシニア大会で引退した身ですが、多くの選手が捉えている引退の感覚とは違いました。

少し引退について深く考えてみたいと思います。

引退とは

引退という言葉を使うのは、そのスポーツを本職として選手として生活している方や学生最後の試合を迎える時に使ったりします。

ただ私の中で違和感を感じるのは、

「引退する事ってそんなに悲しい事?残念な事?」

という事です。

おそらく現役として続けたいが続けられない、そんな時には悲しく残念なものとして捉えるしかないのかもしれません。

確かに現役として選手として最後を終える事は儚く尊いものである事は間違いないですし、惜しまれてやめていく選手もいるのですが、引退する事は次のステップに進む門出で喜ばしい事であると私は思います。

今となってはプレイヤーとしての世界の頂点の景色はどんなものなのだろうと思いますが、指導者としての世界の頂点もまた違う景色だと思います。

あなたの今までというのは現役でしか見れない世界です。

そこのプレイヤーとしての面白さ、難しさ、厳しさ、楽しさ、色んな感情が溢れる世界があったかもしれません。

ただそのプレイヤーの世界のもっと大きな周りのワクワクする世界がある事に気付いていないのではないでしょうか。

選手時代では携わるまで知る由もなかった選手をサポートしてくれていた方々の世界、1人1人を公平公正にジャッジしてくれていた審判の先生方の世界、指導者として選手以上に自分を考えてくれている世界、今までにないそのスポーツの新しい世界を創造していく世界などなど。

引退という言葉はネガティブな要素満載です。

引退する事をワクワクしてほしい、その為にも心置きなくやり切ってほしいです。

選手としてトップを目指していたその志は引退してからも非常に必要です。2回言いますが非常に必要になります。その闘志を決して消してはなりません。

この引退という門出をどう迎えるかというのはセカンドキャリアにおいてとても重要です。

もし選手で引退をする事があれば自分を労い、周りはそこまでの功績を称え、これからの門出を祝うそんな機会として送り出してほしいと思います。

たくさんの世界の中の選手という一カテゴリーの世界を引退するのであって人生を引退する訳ではありません。

その世界を突き抜けた事を素晴らしいと思います、新たな門出を応援していきましょう。

引退は後退ではない。

新たな世界への鍵を見つけた

前進である。


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